まなざしの起点:写真理論、5つの必修講義

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MZ5-M1|ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』

MZ5-M1-L0 第0課|序論:1935年の危機と読み方(Intro)

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嵐の中のテキスト、未来への問い:ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』を深く読む

皆さん、こんにちは。写真理論や芸術について学ぶとき、私たちはしばしば「美しさ」や「感動」、あるいは「作家の才能」といった言葉から話を始めがちです。しかし、今日私たちが一緒に深く読み解いていくテキストは、そうした議論とはまったく異なる、恐ろしいほどに冷徹で、そして予言的な視点から芸術を捉え直したものです。そのテキストとは、ヴァルター・ベンヤミン(Walter Benjamin)が1935年に発表した論文、『複製技術時代の芸術作品』(”Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen Reproduzierbarkeit”)です。

この論文は、20世紀の美学、メディア論、そして政治思想において、避けては通れない最も重要な文献の一つとされています。なぜでしょうか。それは、ベンヤミンが、写真や映画といった新しい「技術」が、たんに芸術の新しいジャンルを増やしたというだけでなく、人類数千年の歴史の中で培われてきた「芸術」そのものの土台を、根こそぎ覆してしまったことを、誰よりも早く、そして鋭く見抜いたからです。

この論文を、たんなる高尚な芸術理論として書斎で読むと、私たちはその本質を見誤ってしまいます。私たちがまず想像力を働かせるべきなのは、このテキストが書かれた「1935年」という時代、その嵐のような状況です。ベンヤミンはドイツ出身のユダヤ人であり、マルクス主義に深く傾倒した思想家でした。1933年にドイツでヒトラーが政権を掌握すると、彼は「排除すべき対象」のすべてを体現する存在となります。彼は故国を追われ、パリでの苦しい亡命生活のさなかで、この論文を執筆しました。

ヨーロッパ全土にファシズムの暗い影が急速に広がり、世界が破滅的な大戦へと突き進んでいた時代。ベンヤミンが目撃していたのは、ファシズムがラジオや映画といった最新のメディア技術を巧みに利用し、大衆の不満やエネルギーを、社会変革ではなく、熱狂的な指導者崇拝と破滅的な戦争へと向かわせている恐ろしい現実でした。したがって、この論文は、静かな書斎で紡がれた美学ではありません。それは、差し迫った政治的危機に対する「応答」であり、ファシズムが大衆操作に用いる「美学」を暴き、それに対抗するための「理論的武器」として書かれた、きわめて実践的なテキストなのです。

この「理論的ガイドブック」では、まず、この論文の核心である「アウラ(Aura)」という有名な概念をじっくりと解きほぐします(第1部)。次に、写真と映画という新しいメディアが、私たち人間の「ものの見方」をどのように作り変えてしまったのかを探ります(第2部)。そして、この論文が最終的に行き着く、政治的な結論を検証します(第3部)。

しかし、私たちの旅はそこで終わりません。この論文が投げかけた問いは、あまりにも強力であったために、発表直後から今日に至るまで、絶え間ない「反響(リパーカッション)」を呼び起こし続けています。同時代の思想家(アドルノ)による鋭い批判から、現代の写真論、そしてSNS、NFT、生成AIといった最新のデジタル技術をめぐる議論まで、ベンヤミンの亡霊がいかに私たちと共にあるのか。その「連綿たる反響」を一緒に追いかけていくこと(第4部)こそが、このテキストを現代に「深く読む」ことになると、私は信じています。