ジョン・サツコフスキー『写真家の眼』:理論の徹底解説と、その連綿たる響き
序章: なぜ今、私たちは『写真家の眼』を開くのか
皆さん、こんにちは。写真理論の講座へようこそ。今日私たちが一緒に深く読み解いていくのは、1966年に出版された、一見すると小さく、控えめな一冊の本です。ジョン・サツコフスキーの『写真家の眼』(The Photographer’s Eye)。この本は、写真の歴史において、単なる「本」以上の存在となりました。それは、写真というメディアそのものの「見方」を根本から変え、定義し直した、一つの静かな「マニフェスト(宣言)」だったのです。
21世紀の今、私たちはスマートフォンを手にし、1日に何百、何千というイメージの洪水の中で生きています。そんな時代に、なぜ半世紀以上も前の、白黒写真がほとんどを占めるこの本を、わざわざ取り上げるのでしょうか。それは、私たちが今、無意識のうちに使っている「写真の見方」の「文法」の多くが、実はこの本によって発明され、確立されたものだからです。
この本が生まれた1960年代の「空気」を想像してみましょう。ジョン・サツコフスキーは1962年、わずか36歳という若さで、世界で最も権威ある美術館の一つ、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の写真部門ディレクターに就任します。これは当時、大きな出来事でした。彼の前任者であった高名な写真家エドワード・スタイケンは、1955年に『ザ・ファミリー・オブ・マン』(The Family of Man)という、写真史に残る大規模な展覧会を開催していました。この展覧会は、「写真は人類共通の言語である」という壮大なヒューマニズムを高らかに謳い上げ、世界中を巡回し、大成功を収めます。写真の「内容」、つまり「何が語られているか」が、ここでは最も重要視されました。
しかし、サツコフスキーがディレクターに就任した1962年当時、写真を取り巻く現実の「地位」は、非常に危ういものでした。驚くべきことに、当時のニューヨークには、MoMAを除けば、写真を「ファインアート(純粋芸術)」として専門に展示・販売するギャラリーは、一軒も存在しなかったのです。多くの人々にとって、写真はまだ「機械的なプロセス」に過ぎず、絵画や彫刻と同等の「芸術」とは見なされていなかったのです。
サツコフスキーに課せられた任務。それは、スタイケンのように写真の「内容(ヒューマニズム)」を訴えることではありませんでした。彼の任務は、写真が「芸術」であると世に認めさせるため、絵画とは異なる、写真「固有」の文法と美学を、理論的に確立することでした。彼は、スタイケンが掲げた「写真は何を語るか」という問いから、「写真はどのように見えるか」という「形式」への問いへと、写真批評の焦点を決定的にずらしたのです。
そして、彼がその「文法」を発見するために目を向けた場所こそが、革命的でした。彼は、美術館に飾られる「芸術写真」だけを見たのではありません。彼が目を向けたのは、それまで「芸術的か?」という問いの「外側」にいた、名もなき人々による「スナップショット」や、報道写真、科学写真でした。1893年、あるイギリスの批評家が「手持ちカメラを持ったスナップシューターたちが世界に溢れ、『これが芸術的か?』などとは考えもせずに写真を量産している」と嘆いた記録があります。
サツコフスキーの偉大さは、この「嘆き」の対象であったはずの「素人写真」や「実用写真」の中にこそ、写真というメディアの「新しい伝統」の源泉があると宣言した点にあります。彼は「芸術的か?」という古い問いを捨て、「写真的か?」という、全く新しい問いを立てたのです。『写真家の眼』は、その「答え」を世界に示した、驚くべき理論書でした。