まなざしの起点:写真理論、5つの必修講義

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MZ5-M4|スーザン・ソンタグ『写真論』

MZ5-M4-L0 第0課|イメージの引力、あるいは現実の牢獄

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イメージの引力、あるいは現実の牢獄:スーザン・ソンタグ『写真論』の理論的読解と、その絶え間なき反響

皆さん、こんにちは。本日は、写真というメディウム、ひいては現代という時代そのものについての私たちの考え方を根底から揺さぶった、非常に重要かつ挑発的な一冊の書物について、皆さんと共に深く読み解いていきたいと思います。私が写真理論の専門家として、また長年教壇に立ってきた教師として、これほど多くの学生たちに「まずこれを読みなさい。ただし、すべてを鵜呑みにしてはいけません」と言い続けてきた本は、他にありません。その本こそ、スーザン・ソンタグ(Susan Sontag)が1977年に発表した『写真論』(On Photography)です。

本日、私たちが試みるのは、単なる書籍の要約ではありません。この本は、出版された時点で一つの「本」であると同時に、一つの「事件」でした。私たちは、この『写真論』という「事件」が、1970年代の文化批評の荒野にいかにして投じられ、それがいかにして今日に至るまで、写真理論、文化研究、そして私たち自身の自己認識の領域にまで、文字通り「連綿たる反響」を呼び起こし続けているのか、その知的なダイナミクス全体を解き明かすことを目指します。

まずご理解いただきたいのは、この本の特異な成り立ちです。ソンタグの『写真論』は、伝統的な学術書、すなわち一つの主題について首尾一貫した論証を積み重ねるような著作ではありません。これは元々、1973年から『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』誌に連載された一連のエッセイをまとめたものです。そのため、本書の魅力であり、同時に多くの誤解を招く原因ともなっているのが、そのスタイルです。本書は厳密な「論文(treatise)」というよりも、ある主題をめぐる深く、そして情熱的な「思索的な瞑想録(thoughtful meditation)」と呼ぶべきものです。

そして、ソンタグの「声」は、冷静な分析者のそれとは一線を画します。彼女の文体は、極めて道徳的(moralistic)であり、写真という行為そのものに対する、ほとんど「非難めいた(reproachful)」とも取れる厳しい調子を帯びています。彼女は、写真を分析するために、意図的に挑発的な言葉を選びます。例えば、写真撮影を「略奪的(predatory)」な行為、そのまなざしを「帝国的(imperial)」、その存在を「破壊的(treacherous)」、さらには「昇華された殺人(sublimated murder)」、そして写真が氾濫する現代社会を「最も抗いがたい形の精神的な汚染(the most irresistible form of mental pollution)」とまで呼びます。

この過激とも言える言葉遣いは、単なるレトリックではありません。ソンタグの根本的な問いが、従来の美学や技術論とは全く異なる場所にあったからです。彼女が問うたのは、「写真とは何か?」という存在論的な問いではありませんでした。彼女が問うたのは、はるかに切実な、私たち自身に関わる問い、すなわち「写真は私たちに何をするのか?(what it does?)」、「写真は、私たちの経験と現実の間にどのように挿入され、私たちの世界認識を、私たちの現実そのものを、いかにして変容させてしまうのか?」という、倫理的かつ政治的な問いだったのです。

ここで、この講義の核心的な前提を共有しておきたいと思います。それは、ソンタグの「非専門家」という立場こそが、彼女の最大の戦略であった、という点です。ソンタグは写真の専門家でも、美術史家でもありませんでした。彼女は、ある批評家が言うところの「パブリック・インテレクチュアル(public intellectual)」、すなわち公共空間で発言する知識人であり、その知的な基盤は哲学と文学にありました。

これは弱点であるどころか、彼女のラディカルな視点を可能にした最大の強みでした。写真業界の「常識」や、美術史の専門的な「アカデミズムの厳格さ(academic rigor)」に縛られなかったからこそ、彼女は写真という現象を、単なる「芸術」の一ジャンルとしてではなく、社会、道徳、心理、政治を横断する、より広範な「現代性(modernity)」の問題として捉え直すことができたのです。彼女の「アマチュア」としての立場が、業界の自明性に囚われない根本的な問いを可能にし、その類稀なる明晰な文体(lucid and invigorating essays)と相まって、彼女の思想はアカデミズムの壁をやすやすと越え、「主流(mainstream)」の言説へと浸透していきました。この本が、専門書ではなく一般書として全米批評家協会賞を受賞し、これほどまでに広範な読者を獲得し得たのは、まさにこのためなのです。

それでは、本講義の第一部として、この恐るべき書物、『写真論』の核心的な論理を、6つの主要なエッセイと一つの結論(あるいは結論の不在)に沿って、丁寧に精読していくことから始めましょう。