まなざしの起点:写真理論、5つの必修講義

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MZ5-M5|ロラン・バルト『明室(カメラ・ルシダ)』

MZ5-M5-L0 第0課|序章:最後の著作、最初の「傷」

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ロラン・バルト『明室』深度理論導読:愛と死、そして写真の本質をめぐる旅

序章:最後の著作、最初の「傷」

1980年に刊行された『明室』は、単なる一冊の書物ではなく、批評史における「事件」として受け止められるべきです。スーザン・ソンタグの『写真論』と並び、写真について書かれた最も影響力があり、「最も引用される」テクストの一つとして、その地位を確立しています。バルト自身が本書の刊行からわずか数ヶ月後、不慮の事故でこの世を去ったという事実も、このテクストに決定的な重みを与えています。

しかし、その真の影響力は、このテクストが内包する根本的な「逆説」に由来します。『明室』は、バルト自身による「パ(リ)ノディ(palinode)」、すなわち自らの過去の理論の「撤回」の書なのです。

バルトは、20世紀後半の思想界を牽引した記号論(Semiotics)の旗手でした。『神話作用』(1957年)や『映像の修辞学』(1964年)といった著作で、彼が私たちに示したのは、写真を含むあらゆるイメージが、文化的な「コード」によって構築された「神話」であり、解読(デコーディング)されるべきテクストであるという視点でした。ところが『明室』において、バルトはそのアプローチに「フラストレーション」を感じ、記号論という自ら研ぎ澄ませたメスを放棄します。彼は、写真の本質が「コード化された」メッセージの中にあるのではなく、むしろコード化を「逃れる」何かにあるのではないか、と問い始めます。

この理論的探求は、極めて個人的な動機と分かちがたく結びついています。それは、彼の生涯の同伴者であった母アンリエットの死(1977年)という、耐え難い喪失体験です。『明室』は、死別という「パトス(pathos)」と理論的探求が融合した、痛切なエレジー(哀歌)なのです。それは「亡き母をめぐる神秘的な探求」であり、バルトはこの探求において「愛と死(エロスとタナトス)」に導かれます。

この本の原題『La Chambre Claire』(光の部屋)は、その方法論的転換をすでに予告しています。これは、西洋の表象(representation)理論の伝統的なメタファーであった「カメラ・オブスキュラ(Camera Obscura)」(暗い部屋)への明確な挑戦です。「オブスキュラ」が、世界をスクリーン上に「投影」し、記号論的に「コード化」する仕組みを象徴するのに対し、「カメラ・ルシーダ(Camera Lucida)」は、かつて画家が用いた描画装置であり、対象の像を紙の上に「重ね合わせる(superimpose)」ことで「なぞる(tracing)」ことを可能にする道具でした。つまり、バルトの探求は、写真の「表象」の力(世界をどのように表現しているか)から、写真の「認証(authentication)」の力(世界がそこにあったことをどう証明しているか)へと移行するのです。『明室』というタイトルそのものが、記号論から現象学(phenomenology)への回帰という、本書の核心的テーゼを告げているのです。